案という脳裏に浮かんだ断片化したキオク、カソウ、色々をノートに書き出す。
要望や必要諸室のつながりは焼きついている。
要望の打合せ記録も暗記するほどに読み返す。それでも読む。
好きなところ、落ち着くところ、育ったところにいく中で気づいたこと、感じたこともノートに書き出す。
まずはこの繰り返し。
これがスケッチと呼ばれているモノ。ほぼ日常のこと。
たまに雑誌やインターネットを覗き見して、断片化された色々の類似が無いかどうか確認する。
雑誌は決して参考書ではない。
最悪かぶってしまったとしても、それらは自分の歴史が生み出した別の案として目をつぶる。
しかしかぶるのは避けたい。
空間化する。
ダンボールをガムシャラに切り刻む。
線が板という厚みを帯びた面になり、それらの組み合わせで立体の空間ができる。
模型は多いほうがいい。
色々が空間化されるから。
過程も忘れない。空間の厚みはより厚いほうが良い。
接続の仕方や自然光のあり方も忘れない。要望も当然忘れない。
スケッチと照らし合わせつつ、空間を見直す。
新しい可能性を見失わないように、ひたすらその穴をつぶし平滑な案を作り出す。
ここで、それらの1歩先が真っ暗なのかどうかを再確認を忘れない。
文章化する。これが一番わかりやすい。
このあたりで、スケッチとハコを見つめ直し、文章化する。矛盾や蛇足がないか、また、それがあったときの新しい可能性を掘り下げるためにも。
延々とそれを繰り返す。
とげとげしかった案は、マンマルになる
生粋でなめらかな案がカタチとなる。自分自身の反映でもある。
どこかで、妥協しない。怠らない。
もしくは、どこかで妥協してないか、怠ってないかの再認識。
これも延々と繰り返す。
いける。これならいける。