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[ COLUMN ]
本日、小山のダイニングレストランLa passionのランチに行って来ました。
・前菜5点(温感混ざった地中海料理の数々。一口づつ頂くがどれもおいしい)
・スープ(洋風なのにアオサが入っていて食感と味に驚く。かなりおいしかった)
・サラダ(ドレッシングの味が深く、かつ野菜の味を邪魔していないところがすごい)
・パン(一瞬で口の中に消える)
・ドリンク(僕はライチ、門脇君はグァヴァを選択)
※グァヴァを選択するところが今の勢いを物語っている
グァヴァだから

・メイン(パスタ3種かフードメニューから選択します)
(僕はきのこのパスタ、門脇君は○○炒め)
(どちらも奥の深い味でした)

・デザート/南国風ムース (想像を超えてる)
一言で言うと「絶品」

飲食店の店舗設計をするようになってから市内、県内のあらゆるお店にいって
ランチとデザートを食べつくしてきましたがLa passionの本日のムースはその中でも
とびきりおいしかった。
その直方体の形を保つのに限界とも思える柔らかさや
口の奥に広がる甘ずっぱさと香りは写真でも言葉でもまったく伝わらない。
ほんとうに食べないと全く伝わらない。
すごかった。
季節感もかねそろえたそのスウィーツは
仕事中であることをまたも忘れさせてくれました。
末恐るべし豪腕シェフ落合氏。
また新しい料理の魅力を教えて頂いたように思います。
ありがとうございました。
佐々木 勝敏
[ COLUMN ]
会社では勉強会を定期的に行っています。(週1.2回のペース)
今回は建築実務から離れたもっと大きい枠組みの勉強会。
テーマは「食べること」
勉強会の趣旨はあたりまえのことや基本的なものにもっと目を向けて
「物事を掘り下げる」
練習をしようというもの。
世の中に流布した言葉の意味や感覚などを取り除き
何が大切で何が不必要かを自分たちで考えるというもの。
流布した意味や感覚について例をあげると
お金持ち=幸せ、好きなものが手に入る (ホントにそう?)
雨の日=天気が悪い (雨が降らなければ野菜や植物が育たないのに・・・)
おいしい食事=一流レストランや繁盛店の料理 (おいしいってそんな程度の意味?)
ちょっとわかり安すい例ばかりですが、流布した言葉と感覚を教え込まれた今の社会
(もしくは考えない社会)ではものごとの価値観を表面的にしか捉えることができなくなっています。
最近つくづくそう感じます。
さて、「食べること」についてですが
人が生まれてからずっと続けているのに、そのことに対して何回くらい考えたことがあるでしょうか?
極端な話、食べることを2週間位やめたら生命活動が終わってしまいます。
そんな大事で基本的なことなのに、物とお金が溢れているからなのか、
日常を流すように過ごしているからなのか、「食べること」について無碍にしていないでしょうか?
そんな「あたりまえ」で日常的なことにこそ重要なことが含まれているのではないかと考え
それをスタッフで考えようというが今回の勉強会の趣旨です。
設計事務所がなんでそんなこと考えたり勉強会したりするの?って思われるかもしれませんね。
でも設計事務所のスタッフである前に
建築的な技術を勉強する以前に
学ばなければいけないことが多くあるように思うのです。
逆に言うとそんな基本的なことも考えないで人様の大きな財産をお預かりする仕事ができるの?
とも思うのです。
だからうちの会社の勉強会は建築に関するものと
それ以外のものの比率が半々くらいなのです。
昨日はGWをまたぎ一週間かけてそれぞれが考えてたことを話し合いました。
次回その内容の一部を載せたいと思います。
「食べること」について皆さんにも考えていただくと
いろんな発見があると思います。
佐々木勝敏
[ COLUMN ]
先日の勉強会レポートの一部を抜粋しました。
お時間のある人だけ読んでください。
長文にて失礼します。
「ご馳走」が死語に近いと感じるのは気のせいか?
「ご馳走」はどこにいってしまったのか?
現代では材料となったものへの感謝はない。まず考えない。
それを調理してくれている人への感謝もない。(子供も大人も)
ただ出来ているものをなんとなく受け入れ、消費している。
コンビニエンスストアで袋に入った菓子パンを買いながら、これは本当に食べ物なのかと思う。
実は新素材のパルプ製品なのではないか?
中国の偽装問題などによって最近注目を集めている「(料理)素材」に対する疑念は捨てきれない。
自分の身体を作る素材が得体のしれないものではないかという疑念である。
食が「工業製品」のように作られ、消費されていると感じる。
食物を育てる過程、工場で加工される過程、食べる過程・・・
全てが一貫したベルトコンベアの上で行われているようだ。
食だけではなく娯楽もそうである。
ステレオタイプで与えられる娯楽とそれに群がる人。
昔に比べてはるかに豊かに、自由になったように感じているが、現実は企業の製品による価値の画一化が行われている。
個人主義的な食事によって、それまであったコミュニケーションやマナーやもてなしといった文化さえも廃れていっているように感じる。
そもそも「食べる」というのは精進料理で言えば
「植物様がすくすく育ち、われわれの力の源となっていただきありがとうございます」
という感謝の意を込めての「いただきます」である。
そんな「いただきます」を最近したか?
当然のような食生活。実は日本は自給率が30%程度である。
それにもかかわらず、残飯量が世界一。
怠慢と浪費以外のなにものでもない。
兼業農家の実家で米づくりがいよいよ始まった。
今年も減反が多い。自給率が少ないわりに何故減反をするのか?米を輸出しないのか?という疑問にあたった。
実は需要がそれほどないというのだ。需要がないのに増産すると売れずに農家がつぶれてしまう。国は補助金制度を利用し、均衡を保っていると言うのだ。
□よくかむこと
・スピード勝負や早食いなんてもってのほか
・飯が遅いやつは仕事ができんというのも間違い
・ものごとには時間が必要なことが多々ある
・咀嚼時間も同様
・よく噛んで味わって、しっかり分解、理解してから体に入れる
・それが食べ物への感謝の姿勢であり食べ物を意識するということ
・そんな些細な意識の持ち方が人を成長させていくような気がする
(日々の中で考える習慣ができるから)
・上にむけて成長したいならもっと基本的なところ(足元)に目を向ける
・ものすごい高いところとものすごい低いところが繋がっているという図式
・言い換えると振幅の大きな揺らぎに変化していくということ
(これが良いと言っているのではない)
□食べること=感謝し続けること
・食事には犠牲が伴っている
・動物だけじゃなく植物でもファーストフードやカップラーメンでもそこには犠牲になった
多くの生命が存在する
・ゆえにそれらに対する感謝の念は常に必要である
・我々が生きている以上、とり続けなければいけない「食事」はイコール生きている限り
「何かに感謝し続けなければいけない」ということを暗に示している
・食事とは「感謝しながら生きる」という毎日繰り返されるメッセージともとれる
・それは食事に限らず自分に入ってくるもの全てに対してそういった気持ちを持てと言うことである
□食べて返す
・そしてそれを今度は自分がどういった形で外に向けて出していくかが「感謝」の具体的な形である
・その具体的な形の質を高める為に日々成長を望む
・自分に入ってきてくれた「食事」や「物」「事」「思い」などに感謝する姿勢が自分が成長そのものであると考えられる
・自分の為に食事を取ったならそのエネルギーを誰かに返す
・このインプット/アウトプットの両面の関係を「食事」がコントロールしている
□食べて出す
・健康について書かれた本を読むと、食べることより出すこと(排便)が重要だと書かれている
・多くのプラスを溜め込むより、多くのマイナイスを体から出すという考え方
・飽食、過食の時代
・取ることばかりになれてしまった時代(TVと教育にも大きな原因がある)
・ゆえに「自分の考え」を人前で話したり、何かを出すことに臆病になっている
・もしくはなにも出せない
・「どこにでもいる誰か」として、いつの間にか自分でそう振舞っている
・入れるものより出すことが重要というのは食だけの話ではない
・この考え方をすこしずらすと「芸術作品そのもの」より
それを見た人の「思考の展開」のほうが重要ということ
・物事は受け取り側に答えを委ねているということ
・作品は誰かの思考を拡張するきっかけに過ぎない
・答えを持った作品や物や料理など「存在しない」ということ
□食べる歴史
・親や祖父母それ以前にはこの国にも貧困の時代があった
・現代は「食」に対する価値観のあり方が軽薄な時代である
・そのことは、「生」に対しての価値観が軽薄になっていることをも意味する
・与えられ続けていけない
・命がけで食を手に入れる為に働いた父や祖父がいたことを忘れてはいけない
・そして我々がまず感じなければいけないのは「食」に対する
「感謝・欲求・不安などの欠如」に気づくところからではないだろうか
・これも食だけに限った話ではない
□食べて延ばす死
・おそらく食事を2週間ほど停止すると人は死ぬ
・「死を遠ざける為に食べる」と言っても現代の日本では説得力が無い
この背あわせになった「食」と「死」は人間にとって最も基本的な問題である
・この両面を俯瞰してわかるものは、人間が有機体であるとか、体内にエネルギーを入れなければなら ないとか、それだけの話ではない気がする
□食文化
・(食の歴史ではない)「食文化」とはどんなものなのか?
・専門的な食について云々というより、「食」に文化というフィルターをつけて考えたり感じたり
するとなにが見えるか考えてみたい
・たまにだが、ものすごいおいしい料理に出会うことがある
・それは言葉に表せない新しい世界観を持っている
・感動を突き抜けていく
・そいうった意味で視覚・味覚・嗅覚などの感覚や経験を拡張したり、新しい意識を与えること
ができるのが料理という世界であり、料理の文化的な側面なのかと自分なりに推測する
・言葉は人間の感覚や何かを示そうとしたときに数が足りない
・「言葉」と「その意味」だけに頼って生きているとかなり狭い世界で生活することになる
以上がレポートになります。
こうやって「食べること」ひとつとってもいつも考えていることの答えが見えてきたり
新しく考えることのきっかけを作ってくれたり、本当に私たちに考える機会と経験を与えてくれたと
思う。
わかる人にはこれが建築にとって大事な勉強会だということがわかると思います。
ヒッヒッヒッ・・・
佐々木勝敏
[ COLUMN ]
事務所の裏に見える風景。
台風の後は空がすごい。
水を張った田んぼも、見ているだけでうれしい。

[ COLUMN ]
前回の食べることに引き続き先週は「笑うこと」をテーマに
スタッフに掘り下げていってもらいました。
笑うこと自体を真剣に考えたこともないので今回もみんな興味を持って取り組んでくれました。
(よかった。テーマが悪いとか言われなくて・・・)
ではみんなのレポートの一部を抜粋して掲載します。
笑いの構造について
□笑いの種類
頭で考える笑い(会話の中にある非日常的な出来事や、言葉の組み合わせの笑い、思い出し笑い)
目で見る笑い(動きや見た目の滑稽さなどの単純な笑い)
体で感じる笑い(接触することでの笑い)
表情だけの笑い(愛想笑い、苦笑い)
□笑いの条件
①種(内容、ネタ、常識とのズレ) ②タイミング ③表現 ④その場のメンバー
□笑いの作られ方
・テレビや芸人が作る、「作られた笑い」
・一般常識からずれたときに起こる「作られていない笑い」
・「作られていないように作る笑い」
・思い出話など「記憶を元にする笑い」
笑いと○○
□笑いと映画
笑いという話を聞いて2つの映画を思い出した。
「パッチ・アダムス」は実在する人で、笑いを治療に取り入れた人である。
実際、笑いにはガンを抑制する効果やストレスを減少させる効果があるらしい。
「ライフ・イズ・ビューティフル」は極限状態での笑いの重要性について描かれている。
自分の息子に、極限状態の中ウソをつく事によって明るいフィクションを作り出していることに感動し、笑いながら泣けた。
□笑いと建築
空間をつくるという点で似ている
笑いという形式はあるが、それらは雰囲気であり、実存するというわけでもない
笑いだけで空間を作ることができる、変えることができる
※もっとも建築を物質として限定しなければ、笑いも建築(空気)の要素のひとつである
ネガティブな笑い
“愛想笑い”“つくり笑い”“あざ笑う”“せせら笑う”“鼻で笑う”“苦笑い”何かを馬鹿にして辱めるような「笑い」がある。
「笑い」について「他の人とポイントがずれている」「笑いの質が高い・低い」という台詞を聞くことがある。
日常的な感情表現の「笑うこと」ですら優劣の判断対象になり、この台詞の存在により笑うことが制限されている様に感じて違和感が残る。
※以後、気をつけます(笑)
その他
・笑いについて考えるというのは、思っていたよりも難しいことだと気づいた。
・「笑い」とは何かということを考えていくと、とたんに「笑い」が逃げていくような気がする。
・「笑い」とは柔らかい感覚で「思考」と相反するもの
・押し付けの笑いは笑えない(駄洒落、予定調和したネタ)
・人が集まったときに重要なのは「笑い」より「楽しい雰囲気」
・コミュニケーションにおいての笑いは爆笑を誘うものではなく、場を和ませるためのもの
・笑いを使って「楽しい雰囲気」を作るのが笑いの役割
・笑い以外で「楽しい雰囲気」を作れればそれも実践したい
・ニコニコしてれば無理に笑いを作らなくても、また笑わなくて良い
・人と向き合った時、相手や自分の緊張を取るために笑ったり笑わせたりする。
・考えてみると、僕は圧倒的に笑わせてもらっている事が多いという事に気づく。
・笑いの伝染(別に自分はおかしくないが、笑い声が聞こえると笑える)
・共鳴する効果があるので社内のどこかで笑いが起きていると自分も楽しくなる
・全員じゃなくてもいつも社内のどこかで楽しい声が聞こえることがよい
・苦い経験も笑いのネタにして吹き飛ばす
・苦い経験で自分が成長して、さらにそれで笑いが作れれば一石二鳥
・苦い経験ほど、また一般常識からのずれが大きいほど笑いや驚きが大きい
・「笑い事じゃない」という笑いを遠ざけるゆとりのない台詞
(笑った人が空気を読めていないという逆の見方もあるが)
・基本的に余裕がないことを示す
・笑いを遠ざけるときというのはそれだけその場が「思考」に偏っているということ
・思考に偏った議論が続くと物事は乾いてつまらなくなってしまう
・もしも笑いがなくなったら、心身の状態や人間関係、コミュニケーションなどがうまくいかない
・笑いは単なる思考の緩衝材としてではなくそれそのものが重要な要素であることがわかる
・気の合う古くからの友人との飲み会では楽しくて笑い続けることがある
・その後は笑い疲れているのになぜかものすごい元気になっている
・嫌な思いも無くなっている
・大声で笑い続けると思い出に残るくらい楽しい時間が過ごせる
・「笑いそのもの」が思い出や記憶になる
以上が前回のレポートでした。
ここに書いてある内容について勉強会ではそれぞれが意見を出し合い
笑いのない議論を行いました(笑)
議論が終わった後「レポート作った意味がないね」って笑いながら終わりました。
来たら来たで緊張しそうですが(笑)勉強会についてご意見があればこちらにどうぞ。
sasaki@e-house.gr.jp
今週は「学ぶこと」がテーマで今、レポート作成に取り組んでいます。
(レポート書きながら誰も笑っていません)
佐々木勝敏
(もうすこし笑ってよヨシダ君)